32歳シングル女性が性差別やルッキズムと闘う「ペトルーニャに祝福を」 小津作品から学んだ北マケドニアの監督に聞く(映画.com)

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出典元:映画.com

旧ユーゴスラビア、現北マケドニアの小さな町を舞台に、女人禁制の伝統儀式に参加してしまった女性が巻き込まれる騒動を、オフビートな笑いで描き、性差別やルッキズムの問題を軽やかかつ痛烈に風刺し2019年・第69回ベルリン国際映画祭コンペティション部門エキュメニカル審査員賞ほかを受賞した「ペトルーニャに祝福を」が公開された。テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ監督が作品を語った。

 実家暮らし、32歳のペトルーニャ。大学卒業後も仕事はウェイトレスのアルバイトしかない。ある日、主義を曲げてのぞんだ面接でも、セクハラを受けたうえに不採用になってしまう。その帰り道、ペトルーニャは地元の伝統儀式に遭遇する。

――この作品のモデルとなった女性がいるとうかがっています。彼女が実際に十字架を掴んだことで、実際にシュティプの町でどのようなことが起きたのでしょうか?

 2014年1月19日に、この映画の撮影をした町シュティプで行われた宗教的な伝統儀式「神現祭」の時に、ある女性が十字架を勝ち取ったことに対して、「女性に十字架を取る権利は無いから、彼女が十字架を持っていることはできない」と、町が反対しました。それに対して彼女は、「誰よりも私が早く泳ぐことが出来たわけだし、私も1年を幸せでいる権利がある」と言いました。町と彼女との間で、数日間、そのやりとりが続き、最終的には彼女が十字架をキープしました。メディアに対して、「これからもマケドニアで、女性が川に飛び込んで十字架を取ってほしい」と彼女は言ったのです。

 私にとって信じ難かったのは、この勇敢な行動をした女性に、マケドニアのメディアがほぼノーリアクションだったこと。ちょっと笑える話のように報道されて、彼女の行動が意味することにリアルなディスカッションが一切なかったのです。私たちはとても残念に思いました。アーティストは変化を起こすためにアートを作っていると私は思います。アーティストである自分たちは、彼女が達成することが出来なかったのであれば、作品を作ることでリアルなディスカッションをしてもらえるのではないかという気持ちが、この映画を作りたかった理由のひとつです。女性たちが置かれている状況、そして宗教の偽善的な側面であったり、教会の立ち位置といったことを含めてです。

――そして脚本、主人公ペトルーニャのキャラクターはどのように作っていきましたか?

 ペトルーニャ自身がひとつひとつの妨げになる壁を乗り越えていくたびに、自分というもの、また、自分が誰なのかということが少しづつ確立されていきます。壁にぶつかるたびに、自分の持っている力、自分がどんなことを成し遂げられるのかということに気づいていくという過程を描いているのです。ドラマツルギー的に分析すると、彼女の成長の中にはたくさんのステップがあります。最初の登場シーンでペトルーニャは、ベッドのシーツの下に潜り込んでいて、食べ物も母親が持ってきてくれる。そして「役立たず」と言われ、次の瞬間には母親から「25歳だと言いなさい。本当の年齢は言ってはダメ」と言われるのです。つまり、自分の置かれている状況のために被害者になってしまっているペトルーニャというものが、そこで明らかになるわけです。

 ペトルーニャが解放されていく、あるいは自由を勝ち取って行く、最初の瞬間というのは、私は工場の面接のシーンだと思っています。彼女の自由解放のスタートだったのです。彼女は、そこで初めて怒りを感じるわけです。倫理的にも道徳的にも自分には受け入れられないと感じ、次の瞬間、十字架を取ろうと川に飛び込むことに繋がって行く。そして、母親にがっかりしてしまう瞬間というのが、次の成長のステップだと考えています。警察を呼んだのが自分の母親だということ、そして、連行されて警察には行くけれども、自分の主張は正しいということに最後まで寄り添うと決めた瞬間でもあります。

 次のステップは、スラビツァから与えられます。ペトルーニャを留める権利は警察には無いということを教えてくれる。そういった沢山のステップを踏んでペトルーニャの成長が描かれます。これは、ドラマツルギーに長けている共同脚本家のエルマ・タタラギッチのおかげです。セリフ、ドラマツルギー、それから映画的なフォルムも映画の成り立ちには大切です。だからこそ、ペトルーニャがカメラに向かい、観客に何かを言ったり、見たりするシーンが何回かあります。彼女が自分の力を自覚し、自分自身の解放、自由を得ていく過程を、ここまで進歩したということを見せるために、そのような瞬間を折々に入れています。

――色彩やペトルーニャの衣装の絵柄、使われている音楽も印象的です。それぞれの意図をお聞かせください。

 パンクロックのバンド、デルカ(DERKA)の音楽を使っています。解放を求めるペトルーニャの気持ちを表現するのに、デルカの音楽のエネルギーとクリエイティビティがぴったりでした。ペトルーニャの核となる怒りやフラストレーションをすごく表現している楽曲だと思っています。

 実は、私は小津安二郎が好きで、全作品を見ていますし、細かく作品の分析もしています。そのパターンのようなものが自分の中に素地としてあります。日本の文化では、そういったパターンやデザイン性が大切であることをよく知っています。色彩やパターンのようなものは、私の映画では、どのフレームも一つの絵画のような形で作っています。一つの画の中に、どの部分を前に押し出して、どの部分を消して、照明はどの部分にあてるのか、そういったことを非常に慎重に計算しています。

 色彩、照明、そのパターン、そういったことを、ひとつひとつの画において全て私が選択しています。ペトルーニャの衣装についても、もちろん同じです。このシーン(写真)は、背景が森なので、彼女が森の一部になるような衣装の柄を選びました。キャラクターがその瞬間に経験していることを伝えるために全ての選択をしています。そうすることで、より深遠な体験を観客にしてもらえると思うからです。

 ただし、製作予算というのは多くはないので、全て決め込んで撮影して行かなければならない。もちろん偶然に何か良いことが起きたらそれはそれで嬉しいですけれど。限界がある状況というのは、逆にクリエイティビティに繋がる、つまりクリエイティブな解決法を見つけるきっかけになるから、そのような限界がある現場というのは私自身は好きです。

――監督は旧ユーゴ時代のスコピエ(現在の北マケドニア首都)出身で、芸術一家に育ち、子役としても活動していたそうですが、今まで影響を受けた映画監督や映画について教えてください。

 確実に影響を受けたのは、イングマール・ベルイマン、ミケランジェロ・アントニオーニ、アンドレイ・コンチァロフスキー、小津安二郎です。とりわけ小津作品のお気に入りは「東京物語」と「早春」です。旧ユーゴスラビア時代に育ったなかで、毎週金曜日に公営テレビで夜11時から、いわゆる名作シネマを放映していたんです。ベルイマンの「野いちご」やフェリーニの「8 1/2」などの世界の名作に触れる機会があったんですよね。すばらしいクオリティの文化的なものに触れるきっかけがあったのと、父がマカロニウェスタンを好きだったので、家族が集まる時はいつもマカロニウェスタンを見ていました。

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