【NY発コラム】ショーン・ペンによる10年間の“ハイチ地震被災者支援” 「Citizen Penn」監督が語る救済活動(映画.com)

出典元:映画.com

ニューヨークで注目されている映画とは? 現地在住のライター・細木信宏が、スタッフやキャストのインタビュー、イベント取材を通じて、日本未公開作品や良質な独立系映画を紹介していきます。

【フォトギャラリー】「Citizen Penn」場面写真

 今回取り上げさせていただくのは、米国では「Discovery+」(ディスカバリープラス)で配信されているドキュメンタリー映画「Citizen Penn(原題)」。カメラに映し出されるのは、「ミスティック・リバー」「ミルク」で2度のアカデミー賞主演男優賞に輝き、ハリウッドで揺るぎない地位を確立したショーン・ペンによる“ハイチ地震被災者支援”だ。監督を務めたドン・ハーディへの単独インタビューを通じて、10年間に及ぶ地道な救済活動を紐解いていこう。

 2010年1月12日、カリブ海に面した小さな島国「ハイチ共和国」をマグニチュード7.0の大地震が襲った。死者22万人、負傷者31万人、150万以上の人々が家を失うことに。そんな壊滅的な大打撃を受けた瞬間から、医師たちは麻酔なしでの手術を余儀なくされる。その様相は、まるで内戦の続く国々の応急処置のようだった。大地震発生から6日後、ペンは救済活動の経験を持つ仲間とともに、荒廃したハイチの街に降り立った。わずか2週間の救助活動だったつもりが、10年もの旅路となっていく。

 ペンは、非常にプライベートを大切にする人物として知られている。ハーディ監督は、どのように彼からの信頼を得たのだろうか。

 ハーディ監督「そうだね、ショーンはとてもプライベートを大切にする人物だ。そんな彼が私を信頼してくれたのは、とても幸運なことだと思っている。ショーンの初対面は、僕が不当に有罪判決を受けた無実のグループを描いた処女作品『Witch Hunt(原題)』を手掛けていた頃だった。彼も映画『デッド・マン・ウォーキング』で、有罪判決を受けた犯罪者を演じている。僕の映画の中に、彼の心に響くものがあったのかもしれない」

 やがて、ペンは「Witch Hunt(原題)」のナレーション、製作総指揮を務めることに。08年の公開後、しばらくペンとハーディ監督は連絡を取り合っていたようだ。そして、2人の運命を変えるハイチ地震が10年に起こった。「僕はCNNで、ショーンがハイチで何が起きているのかを語っている映像を見たんだ」と語るハーディ監督は、ペンに連絡をとり「現地で見ていることを、映像としてとらえる手伝いがしたい」と願い出たようだ。

 そこから、ハーディ監督は毎年ハイチを訪れ、ペンが立ち上げた「J/P Haitian Relief Organization(J/P HRO)」(現在は「Community Organized Relief Effort(CORE)」)の活動を撮り続けることになった。この機関はどのような存在なんだろうか。

 ハーディ監督「ハイチ大地震の後に立ち上がった『J/P HRO』は、毎年、何億円もの基金を、ハイチ、そして現在は(基金が必要な)他の国々のために集めている。ハイチの人々は、政府から助成金をいくらかは受け取って助かってはいるものの、復興の多くは『J/P HRO』や他の機関による基金によって成し遂げられたものなんだ」

 18年、ハーディ監督は「これまで撮影した映像を、映画にしてみないか?」とペンにアプローチ。すると「(ハイチ救済に関しては)どれが正しい判断で、どれが間違っていて、どれがその中間にあったかを振り返るのに、ちょうど良い」と同意してくれたそうだ。

 ペンの救済活動は、今回取り上げているハイチの救済活動だけではない。同時多発テロ後に起きたイラク戦争の際は、現地で何が起きているのかを深い見地で判断するべく、バグダッドに向かい、現地の子ども達のいる病院、核兵器があると信じさせられて従軍していた米国兵士のもとを訪ねていた。

 05年、ニューオリンズを「ハリケーン・カトリーナ」が襲った際も、真っ先に被害者の救済活動を行っていた。それらの経験を、ハイチでも活かすことになったのだ。メディアは、そんなペンの活動を、若い頃の“バッドボーイ”のイメージに紐づけて「売名行為」と批判した。

 ハーディ監督「今さらメディアがどう言おうが、彼は気にすることはなくなったと思う。俳優として世に出てから40年にもなるし、さまざまな批評も受けてきた。だが、それでも彼が特別なのは、自分が正しいと思っている道を突き進んでいるという点だ。自分の信念を曲げずに、自分がやりたいことを行い、最後までやり遂げる。このような不安定な世界では稀だと思う」

 10年1月12日、ハイチ大地震は未曾有の被害をもたらし、現地ではその実情を把握することはとても困難だったはずだ。そのような状況下で、ペンはいかにチームを編成し、到着後、まず最初に何を行っただろうか。

 ハーディ監督「確かに、あの状態を把握するのは難しかった。たくさんの人々が亡くなり、多くの人々が住む場所を失った。あ然とするほどだったんだ。まずショーンは、過去に自然災害の救済経験のある友人を電話で招集し、まだハイチ(政府)が困難だった時に、プライベートジェットの機内いっぱいにさまざまな用品を積み込み、(ボランティアの)人員を乗せて向かった。そこから、既に現地に到着していた医師、ハイチや海外の(ボランティア)グループと協力しながら調整していったんだ。彼らは、働く機会を得てから、可能な限りのベストを尽くしていたよ」

 現地に到着したペンは、医師が麻酔なしで手足の切断作業をしたり、ウォッカを使用して消毒を行う光景を目撃。そこで、麻酔用に使うモルヒネを手に入れるため、ベネズエラのウゴ・チャベス大統領と連絡をとることになった。当時、アメリカとの関係が芳しくなかったチャベス大統領と連絡をとったのには、ある大きな理由があった。アメリカのシステムでは、大量のモルヒネを使用するための許可を得るのに、相当の時間がかかったからだ。そのため、チャベス大統領に頼めば、すぐに現地の人々の手に渡ると判断したのだ。

 ハーディ監督「ショーンがそんな動き方ができたのは、彼がウゴ・チャベス大統領に会った際に、敬意を評していたからだ。彼らはともに働く方法を見つけ、多くの命を助け、多くの人の苦痛を和らげることができたんだ」

 大地震直後、ハイチの人々の大半は、ベッドのシーツ、カーテンなどを使った即席のテントで暮らしていた。そのなかには、プライベートのゴルフコースにテントを立てて生活をしている人もいたようだ。実は、そんなゴルフコースに住んでいた人々の面倒を見ていたのが「J/P HRO」。ペンが、ゴルフコースのオーナーに許可を得て、ホームレスとなったハイチの人々を住まわせていたのだ。

 「J/P HRO」は救済活動を始めてから、すぐに多くの困難に直面することになった。日本の方々でも、東日本大震災の経験から、大地震後に一から生活を立て直すことの難しさが理解できるだろう。被災地域に、再び台風や洪水などの自然災害が生じれば、土砂崩れだけでなく、環境の悪い土地であれば病気がまん延することもある。さらにPTSDを抱えしていまう人も出てくる。ハーディ監督には、二次災害についてのコメントも求めてみた。

 ハーディ監督「あの大地震は、ハイチの人々が体験した多くの災害のひとつにすぎない。自然災害がどんどん起きるたびに、復興や、(精神的な)回復をすることが難しかったんだ。だからこそ、各国が災害後の対応と再建の過程を支援するために、外国人ポランティアと援助活動家などの支援者を持つことが重要になってくる」

 大地震から数カ月後、ペンはエンジニアや建築の請負業者を雇うことに。荒廃した街の通りにあった山積の瓦礫を、シャベルカーで取り払うと、骨になっていた死体を発見。この光景は衝撃的だった。そんな故人をどのように見分け、家族のもとへ遺体を返したのだろうか。ハーディ監督は「エンジニアや建築の請負業者たちは、瓦礫の下に死体がある可能性を秘めた地域の住人たちと事前に親密になっていた。作業をしながら、家族たちが本人であるかを見分けていったんだ」と教えてくれた。

 このような大地震は、人々の救済だけでなく、別の観点からも見つめなければいけない。「J/P HRO」は、現地での救済活動だけでなく、国の将来を担う子どもたちを教育する学校を設立している。

 ハーディ監督「ハイチ大地震が起こった頃、テントを張ったキャンプで暮らしていた子どもたちが学校に通い始め、今やそんな彼らが大人になった。彼らが、より良い方向にハイチを導くことができるようになるのではないかと考えると、感慨深いものがある。ショーンがハイチの子どもたちのことをよく考えているのは知っている。子どもたちは、ショーンだけでなく、ハイチで支援をしていた我々全員にとてつもなく大きな影響を与えてくれた」

 最後に、本作を通して投げかけたいメッセージを尋ねてみた。

 ハーディ監督「鑑賞後、(何らかの)コミュニティに参加したいという気持ちを抱いてくれることを願っている。ショーンが映画で語っているように、我々はより多くの市民への関与と活動が必要なんだ」

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