映画復元のスペシャリストたち【国立映画アーカイブコラム】(映画.com)

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出典元:映画.com

映画館、DVD・BD、そしてインターネットを通じて、私たちは新作だけでなく昔の映画も手軽に楽しめるようになりました。 それは、その映画が今も「残されている」からだと考えたことはありますか? 誰かが適切な方法で残さなければ、現代の映画も10年、20年後には見られなくなるかもしれないのです。国立映画アーカイブは、「映画を残す、映画を活かす。」を信条として、日々さまざまな側面からその課題に取り組んでいます。広報担当が、職員の“生”の声を通して、国立映画アーカイブの仕事の内側をご案内します。ようこそ、めくるめく「フィルムアーカイブ」の世界へ!

 19世紀末から始まる映画の歴史において、ほぼ一世紀の間、映画は常にフィルムで撮影され、上映されてきました。国立映画アーカイブが劇場公開当時の状態を尊重しながら、歴史的・文化的・芸術的に貴重な映画フィルムを適切に保存・公開するためには、劣化や損傷の見られるフィルムを修復し、当時の作業工程まで可能な限り再現しながら、オリジナルの状態に近いニュープリントを作ることが重要です。

 日本では、無声映画の時代、映画会社が撮影所内で現像を行うことが一般的でした。しかし、トーキーへの移行、技術の発展により映画産業が拡大するにつれて、より速く・大量にポジフィルムを作成する作業への需要は増し、専門の現像所が設立されていきました。

 しかし、映画の制作工程や上映のシステムがデジタルにシフトすると、映画興行におけるフィルムの需要は激減し、現像所は、デジタル事業を拡大してフィルム事業を大幅に縮小したり現像部門を閉鎖したりと、時代の変化にさらされてきました。現在、国内で劇場用映画フィルムを現像できるのは、IMAGICAエンタテインメントメディアサービス(以下、Imagica EMS)と東京現像所の2カ所しかありません。

 国立映画アーカイブには、元現像所勤務の、フィルムに関する優れた技術と経験を持った職員が多く在籍していますが、館内にはフィルムの現像設備はなく、ニュープリントを作成することはできません。当館が劣化や損傷が見られるフィルムを復元して上映できるのは、国内の現像所の中に、さまざまな種類・状態のフィルムを適切に取り扱い、可能な限り良好なニュープリントを作成する技術を有した、フィルムの復元の専門家たちがいるからなのです。

 「発掘された映画たち2022」は、当館が新たに発掘・復元した映画の数々を紹介する上映企画ですが、なかでも、衣笠貞之助監督の無声映画「狂った一頁」[染色版](1926年)は、現像所で働くスペシャリストの高い技術力がなければ復元が実現し得ませんでした。

 「狂った一頁」は、日本初期の前衛映画として世界的にも名高い、衣笠監督の代表作のひとつです。1926年製作の本作は、封切り以来、長らく失われた映画だと思われていましたが、1971年に衣笠邸の土蔵の中から、公開当時の可燃性35ミリポジフィルムが発見されます。それはオリジナルネガから最初に焼いた、初号のフィルムでした。衣笠監督は、そのフィルムから白黒のインターネガを起こし、音楽や擬音を付けて上映用フィルムを作成しました。その後、欧米での巡回上映が行われ、1975年には岩波ホールで一般公開が実現。衣笠監督の監修のもとで甦った、白黒・サウンド版の「狂った一頁」が、現在に至るまで鑑賞されてきたのです。

 国立映画アーカイブでは、フィルム複製作業のほかに、毎年、所蔵フィルムのなかで特に希少性の高い可燃性フィルムの修復・洗浄作業を現像所に依頼しています。2021年、その作業を行っていたImagica EMSの調査・修繕・コーディネート担当の野原あかねさんは、衣笠邸で発見された「狂った一頁」可燃性35ミリフィルムが、青に染色されていることに気づきます。

 そのときのことを、野原さんはこう振り返ります。

 「素材調査では素材が持つ情報を可能な限り抽出する必要があるため、先入観なく素材と向き合います。『狂った一頁』の缶表には白黒フィルムと記載されていましたが、実は染色であったという刺激的な発見に興奮したと同時に、我々は技術的にどのように寄り添えるのか考えました。特に今回の素材は劣化による染色ムラが生じていたため、染色部分の色ムラは果たして劣化だけが原因で生じたものなのか、1926年当時はフィルム全体が同一の青で染色されていたものなのか、というところに関心が向かいました」

 染色は、無声映画時代に用いられていた、白黒フィルムを染色液に浸して染める色彩表現の手法です。半世紀ほどの間、白黒映画だと思われていた「狂った一頁」は、1926年当時、フィルムを青に染色して上映されていたのです。

 野原さんが気づかなければ実現しなかった「狂った一頁」[染色版]の復元――。ここから、当館主任研究員の大傍正規さんは、「狂った一頁」に[白黒版]と[染色版]のふたつのバージョンが生まれた歴史的な背景を同定する調査を行いました(その成果は当館の機関誌「NFAJニューズレター」第16号に「甦る「闇夜」の世界――『狂った一頁』[染色版]の同定と復元をめぐって」と題してまとめられています)。そして、調査から明らかになった情報をもとに、オリジナルの「青」の再現を目指した「狂った一頁」のフィルムの復元が始まりました。

 作業が行われたのは、大阪市にあるImagica EMSの大阪プロダクションセンター。ここは8階建ての大きなビルで、フィルムの現像以外にデジタル作品のポストプロダクション等も行われています。

 たくさんのリワインダーが並んだ準備室で、大傍さんと野原さん、そして同社でタイミング(監督やカメラマンが意図した色彩や濃度に近づけるための色調調整)を担当する益森利博さん、現像・染色担当の柴田幹太さんが集まり、まず “色の選定”作業を行いました。今回の復元は、まず白黒フィルムのニュープリントを作り、それを青に染色するという工程。ひとくちに青と言っても、色の幅はとても豊かで、フィルム一巻でも部分によって褪色具合は異なるため、リワインダーにかけて丁寧に現物の状態を確認します。「何段階か色の濃さの違うテストピースを作って、現物と対比させましょう」「再現可能な色だと思いますね」と、熟練の皆さんが、意見交換を重ねます。

 次に、タイミング作業に入ります。ここでは、染色することを考慮してニュープリントの白黒の濃度を調整し、その後、モニター上で白黒フィルムを青の染料に浸した場合の色味を検証しながら、現物に近いバランスを探っていきます。「青染色をした後の濃度は先に確定していましたが、白黒のタイミングは自分で適正な濃度を見極めるしかなかったので、そこが一番気をつけたところです」と益森さん。

 また、現物のフィルムは昼間のシーンも青染色が施されていたのですが、青色は夜のシーンを表現するために使われる場合が多いため、本当にこれが正しいのだろうかと、益森さんは悩んだと言います。柴田さんも同じ悩みを抱いたそうで、「でも結局、昼間なのに青でいいのかなっていう疑問は現代を生きる僕たちの感覚であって、当時は誰も不思議に思わなかったかもしれない。何より、目の前にあるフィルムが青いんだから、その一番の証拠をきちんと見ましょうと、国立映画アーカイブの大傍さんにも事前に相談して決めました。“揺れないぞ”と心に誓ってからは、迷いなく作業ができましたね」と、正解のないなかで最良を追求しなければならない復元作業において、自分の軸を決めることの大切さを明かしてくれました。

 色の方向性が定まると、次にタイミング・焼き付けが完了した白黒フィルムを現像し、並行して、異なる濃度に着色した数パターンの染色フィルムのテストピースを作成します。それらを、白黒フィルムを上映する映写機にフィルターとしてかざして試写を行い、スクリーンに上映されたときの色味も確かめながら、最終的な色を決定するのです。

 テストピースを作成するために必要な染色液を調合する部屋には、ビーカーやフラスコ、粉末の染料がずらりと並んでいて、まるで実験室のよう。ここでは柴田さんが、水を注いだビーカーを加熱して、ふつふつと沸いていくお湯の中に青の染料を混ぜていきます。柴田さんは、無声映画時代のナイトレートフィルムのカラフルさに関心を抱いたことが今の仕事につながっているそうで、「世界中の染色フィルムや劣化フィルムの映画復元の事例をいろいろ見て、復元技術者になりたいと思うようになったんです。それが前身のIMAGICAウェストが染色作業を始めた2007年頃で、僕が入社を希望していた時期とほぼ重なります」と教えてくれました。お湯と染料を手際よく攪拌し、まもなく染色液が完成。そこにフィルムを浸して、染色液に浸す時間で色の濃さを分け、バリエーションを作ります。30秒、60秒、120秒と時間を変化させるだけでも、濃さは全く違ってくるんですね。

 テストピースの試写の結果、「狂った一頁」[染色版]では、染色液に60秒浸したものをベースに復元をすることに決まりました。フィルム全体を染色する本番では、普段は使用していない白黒現像機のタンクに染色液を満たし、染まったフィルムを適切に水洗・乾燥させます。大量の染色液にフィルムをじゃぶじゃぶと浸すパートと、フィルムをピンと伸ばして水洗・乾燥させるパートに分かれた現像機が、ダイナミックに稼働してフィルムを染めていくさまはとても壮観です。

 実際に作業を拝見すると、遠い昔に作られなくなってしまった表現技法を今でも再現できることの意義を認識すると同時に、その技術を継承している方々がいるということに、感動さえ覚えます。

 まだIMAGICAウェスト(当時)が新作映画のフィルム現像を中心としていた90年代に入社した益森さんは、「“今回学んだ経験をどうやって次に生かせるかな”と試行錯誤を重ねていけるのは、新作にはない面白さです」と、映画復元ならではの醍醐味を語ります。

 そして、三人の中で一番の若手である野原さんは、仕事のやりがいを次のように話してくれました。「映画に携わる仕事がしたくてIMAGICAに入社しましたが、フィルムはやればやるほど面白いです。目の前にあるぼろぼろに劣化したフィルムや、希少とされる珍しいフォーマットのフィルムがどのようにしたらプリンターを走行するか思案し、必要におうじて機材類を製作して、最終的な仕上げに向けて最善の方法を模索しながらひとつずつ組み立てていくプロセスは悩むことも多いですがとても楽しくて、お客様に仕上がりを喜んでいただけたとき私も途方もなく幸せを感じます。今回の発見を国立映画アーカイブの皆さまに喜んでいただいたことが最高にうれしかったです」

 国立映画アーカイブがフィルム上映を続けられる背景には、日々フィルムに触れ、プロの技術を磨いている専門家の皆さんの存在があります。当館の名物企画である「発掘された映画たち」では毎回スペシャリストの復元技術がキラリと光るさまざまな映画が上映されますので、ぜひご注目ください。

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